考えてみたら、段々と腹立たしくてなってきて…。
勝手に消費される自分に怒り

優しそうだからとかそんな理由で、慰め役を押し付けられる。責任感がありそうだからと雑務を押し付けられる。独身だからと給与に反映されない追加の仕事を押し付けられる。面倒見が良さそうだと後輩の世話を押し付けられる。
いろんなことを見てみぬふりをして、役割を甘んじて受け入れてきた自分に嫌気と、そんな生活に慣れすぎて不利益ばかり被る人生を、そのまま自分の人生だと勝手に理解して下げていたことに猛烈な怒りを感じています。
どうして自分はこんなにも、自分のことを大切にできないのか。周りに押されてばかりでひっそりと生きる自分でいけなきゃいけないのか。
全てはそう、自分がそうやって自分を設計したからだと思います。
原因自分論

勝手に自分を可哀想に仕上げていた…。そう全て自分に原因があります。
そんな自分じゃないと受け入れてもらえないから?
世の中はそんなもんだから、現実を受け流していないと生きていけないから?
そういうふうに自分を説得してきました。けどそうじゃない。自分が自分を信じて、好きなことをしていいし、好きなことを主張していいとGOを出せなかったその自分に原因があります。
断れないのは自分のため。断ったら後が嫌な感じになるのが嫌で。悪者になるのが嫌で。いい人を演じていた方が楽だから。そんなことの連続です。
責任感といい人の境目がなくなっていた。仕事の範疇を勝手に広げて、勝手に責任感を勘違いして、いろんなことを引き受けて自分におもりをつけていたんです。
そんなふうにしていると、どんどん鬱憤が溜まって、人の不幸が蜜の味になってくるし、自分の人生をもっと悲観して、人と比べてばかりの人生になっていきます。
私が私であるために

私が私であるために、もっと自分のことを大事にしていい。
自分の心の声を主張して、嫌なことは嫌と、好きなことは好きと言っていいはずです。
お金のために、生活のために、関係性のために自分の心に嘘をついていて健康であるはずがありません。
人生をダメにするのも、人生を輝かしいものにするのも、全て自分の中に鍵がありました。私が自分のことを大事にすればするほど、人生は輝かしくなります。
もっと素直に生きてみよう、ではないか。