こころ

過剰に持ち過ぎた平成の時代

考えて見れば、平成ってモノがあぶれた時代だったのかな〜と思います。

平成を多く過ごした30代の私たち

今の30代は皆人生のほとんどを平成で過ごしてきたわけですが、令和時代に生まれた若い子たちや昭和の方が長く過ごしてきてきた人に比べて、わたしたち平成時代をメインに過ごしてきた者がどう違うのかを考えてみました。

そのひとつは、「モノ」が溢れていた時代。

過剰なパッケージ包装や、物理的デバイスや印刷物。「モノ」が持つ価値というのが重要視された世代だったんじゃないでしょうか。

昭和初期生まれの人たちは、物がない時代を過ごしてきたし、令和の今は先祖返りのように過剰包装が見直され、中にはミニマリストが大量に発生するようになりました。

平成生まれや平成を中心として過ごしてきた私たちは、高価なものを持つことが大事なことで、素敵な広いお家や装飾品、車にボート・ヨット、バイクなどを持てる生活にあこがれを抱いてきました。

でも令和になるとその夢から目が覚めます。私たちが見ていた幻想とはなんだったのか?と。

持たない方が気軽だし、リスクがない

今は物を持っていない方がいい時代になったなと改めて思います。物を持っていると奪われるリスクが高まるし、物の処分や税金に追われるような時代です。

だからできるだけ最小限のものを持って、いつでもどこでも風のように移動できることが大切にされる時代。そう、まさしく「風の時代」ってやつですね!

風の時代は知性の時代とも言われています。知識や情報をうまく取り扱えることが、この時代の生存競争に打ち勝つ条件なのかもしれません。

平成を多く過ごしてきた私たちの価値観も転換が必要なタイミングだと思います。何かを人より多く持っていたら安心・安全なんて、そもそも有り得なかったのかもしれないと。

存在しては消えていく不思議な世

そもそも、この世の中で人間として生きるって本当に不思議でありがたい(=有難い)ことだなと思います。

何もないところから生まれて、形ができて大きくなって、ものを持つようになったりして、最後はまた何もないところへ帰っていくのです。

死ぬ時には何も持っていけない。だとしたら、この世でもそんなに多く持つ必要はないのかもしれませんね。

ほんの数年誰かの記憶に留まったり、生きる喜びを享受しあえる経験や思い出だけが本当に残っていくものなのかもしれません。それも永遠には存続しないけれど。