気づいたら高校生からずっと働いている。
働かなければという強迫観念

高校生の頃から、大学の時も、社会人になっても、働いていない時期が一切ないことに最近気づきました(遅いけど笑)
私の実家は自営業で、働かざる者食うべからずという方針で育ってきたものだから、大人になって自立するには、「働いていないと立派な人間になれない」という謎の思い込みがありました。
そして社会人になって、お金を稼がなきゃとかステータスをあげなきゃと頑張るたびに、謎の自己投資でお金を使いまくって借金までして働く生活を自分で選んできました。
だからずっと遊んで暮らすということの意味がわかっていなかったように思います。遊ぶとか好きなことをやり続けるということに、なんとなく引け目を感じていたんです。
学生の頃もずっと習い事は塾で遊ぶということはなく、スポーツクラブや楽器の習い事をしている子のことを羨ましいと思う反面、それじゃいけないって思っていたところがあります。
大人になって余裕がある時でさえ遊べない

だから圧倒的に遊ぶのが下手くそなんです。
土日とか自由時間を与えられると戸惑ってしまって、副業で埋めたり、習い事を増やしたりしてしまうのも遊びの貧乏性が発動しているように思います。
1日何もしないで過ごすと、本当に自分が無駄なことをしてしまったという感覚で自分責めをすることになる。それくらいなら働いていた方がまだいいかなという謎の思考の持ち主です(苦笑)
でも、遊べない体質だからこそ、仕事の中に遊びを混ぜちゃったらいいのかなとも思います。例えば何かを作ったり、想像したり創造したり。そんな風な仕事が毎日だったら仕事と遊びの境目がなくなって自分を責めることもなくなると思います。
ちょっと興味のあること

最近中国語を勉強していて、この語学の能力を高めた暁に何か形にしたいな〜と思ったりしています。そしてそれが遊び感覚のものだったらいいなとも思っているのです。
そこで最近興味を持っているものが、通訳や翻訳のお仕事です。簡単な仕事ではないとは思うのですが、文化好きな私だったら生涯楽しんでやれたりするのかなとも思っているんですね。
映画や書籍、YouTubeなどの簡単な字幕、または日本の文化を海外に発信していく仕事だったら、実はちゃんとしたところに勤めるまでもなく、個人でブログで発信もできるな〜と新しい可能性を感じています。
自分が好きなことを形にするってどんなことでも楽しいですし、そこから広がっていくまだ見ぬ世界がやる気を駆り立ててくれます。
遊びの幅を限定せずに、自分でたくさん遊びを作っていきたいですね。