好きなものに触れれば触れるほど、深入りするのが怖くなる
なぜ怖くなるのか

大事なものほど、大事にとっておきたいからなのか、確信に迫ったり、深入りすることを恐れてしまう傾向があります。
家族ほどなかなか本音を言えなかったり、大事だからこそ下手に突き放すこともできない。
同じように、仕事も友達も大事になればなるほど、どんどん本音が言えなかったり、だけど本音を言いたくなったりして、自分の中で矛盾が生まれて葛藤するものです。
なぜ人間は、家族を作って人と交わって生きるようになったんだろう。悩みが生まれて深まるばかりなのに、なぜ人と交わりたいと思ってしまうんだろうか。
恐れるばかりではなく

恐れるばかりの自分が嫌になる時があります。こんなヤワな自分でやっていけるのだろうかと、自信がなくなります。
そんな時は「なんとか自分一人生きていける踏ん張り力さえあればいい」そう思うことにします。自分以外の人も救おうとか、大事にできるとかそんな傲慢さはいらない。
私は今自分さえなんとか生かしておける力さえ持っていれば、生きていける。むしろ基本的にはそれくらいしか力がないのだと把握しておけば、無理なことはしようと思わないだろうと思うのです。
欲を超えて

欲を超えて生きることができたらいいなと思うのです。それはあくまでも夢物語でしかないのだけど。
どう考えても食欲や睡眠欲には負けてしまうのだけど、そういった生理的欲求以外の、何者の手に入れたいという強欲さを捨て、自分の身の丈を知って生きていればなんとか自分一人くらいは生かしておける。
そして自分一人生かしておけるなら、周りに来た人やそばにいる人も、あるようにそのまま受け入れることができるのではないでしょうか。
何者かになれる、なんでもできると思った瞬間に何かまたよからぬ思いに自分が縛られて、あらぬ方向に行ってしまうような気がして。
この世で、私は私の紐を手放さないようにすること。それだけが唯一できることなのではないかと思うのです。