人生は、本当にさまざまな糸の絡まり合いだと思います。
目を背けたくなることの連続

現実に目を向けたら、自分の想定しないことや、自分の思いとは裏腹に流れてしまうことに辟易することもたくさんあります。
そもそも、世の中が自分の思い通りになると思うなどというのは思い上がりなのだ、ということもあると思います。
だからと言って、いつまでこんな「弱い」自分で世の中をじっと耐えて生きていかなければならないのか…そんなふうに思う時ってないでしょうか。
私はここ5年くらいそんな思いの塊だったように思います。
いつの間にか「弱く」なっている自分

親の言うことを聞いていれば、先生や年配の人の言う通りにすれば、良い人生になると信じて疑わなかったおぼこな自分は、その人たちが言うようにサラリーマンになって、毎日同じ日々を過ごし、自分の気持ちを押し殺して、自分の自由を売りながらお金を得るようになりました。毎月お金はもらえるけど、私の心はどんどん弱って行く一方です。
結婚をした方がいいと言うことで結婚をしたけれど、モラハラまがいの言葉を浴びせられて自分を演じ偽るようになって、限界が来て離婚をしてしまいました。
私にとって足りなかったものは何か、何が自分に欠けていたのかを考える日々。もちろんお金も足りなかったけど、一番欠けていたのは「自分の意思」と言うものではないでしょうか。
意思を出せば、いろんな人の意思に触れて糸が激しく絡まり合い、争いが起きる。なるべくそれを避けて生きてきました。目立たないように、人と絡まり合わないように。
けれど肝心の自分の心は徐々に冷たく、弱くなって行く一方なのでした…。
糸の絡まり合いをどう眺めるか

元旦那に言われた言葉で覚えていることは「お互いが合わないから仕方ない」という言葉です。
話し合いをして擦り合わせようと言っても、何度も合わないから仕方ないんだと言われました。私としては、「だって別々の人だし合わないのは当たり前ではないか…話し合いをしてすり合わせないと何も始まらないでしょ…。」と思っていましたが、彼はそうは思っていないようでした。
そりゃ私も、いろんなことがすんなりいければこんなに人生苦労しないし、悩まない。けれど完璧を求められたら、自分が壊れてしまう。そういうアラートが何度となく現れた結婚正確でした。
さまざまな人と関わっていくと、どうしても糸が絡まるように思いが分かり合えない現実に苦しむことになります。けれど、それをどう眺めるのか、そこに自分へのヒントが隠されているようにも思います。
何事もないように無視をしますか?絡まった糸をもっと絡めてしまいますか?絡まり合いも一つの面白さと解釈しますか?
いろんな方法があると思うし、私もどれと決まったわけじゃない。けれど一つ言えるのは、ずっと人生で絡まない糸を持ち続けている人など誰もいないということです。