こころ

さまざまな感情とは裏腹に事実がある

気持ちのアップダウンがあって、心が乱れていても、目の前には事実がある。

モヤモヤを抱えたまま今日も生きている

当たり前のことですが、昨日の疲労感やモヤモヤが1日で吹き飛ぶわけでもなく、今日も私は今日という日を生きています。

何か悩んで考えたり、調べたり、人の話を聞いてみても、手元に残るのはありのままの事実のみなんですよね。本当に当たり前のことですが。

みんなそんな毎日が一気に変わってくれないかと淡い期待を抱きつつ、何も変わらない毎日に絶望する、そんなことが起きているのではないかと思います。

だけど毎日変わっている

不思議なもので、私たちは流れる時間は一定なはずなのに、感情によって流れる時間を長く感じたり、早く感じたりする生き物なのです。

だから、自分の体感値とは別に時間は流れている。毎日は少しずつ変化していっているのです。

だけど気持ちがずっと昔のまま変わらないと、私たちはずっと辛い気持ちを抱えて生きているような錯覚が起こります。

耐え難い事実にある程度変化が起きても、耐え難い事実が起きた人生というものに絶望し続けたままでいるのです。

果実は何度かしか実らない

私たちは、自分の人生という木に無限に果実を実らせることができると、時には行き過ぎた誇大妄想を抱いてしまうものなのです。資源は無限に湧いてくるんじゃないかとか、自分に限って亡くなってしまうことはないのではないかと。

だけれど、生きているものは必ず形がなくなり失われていくものなのです。

過去をずっと自分に残して体調の悪いままでいるのか、自分から水や栄養を吸って大きく育とうとするのか、全ては自分次第であるのに、目の前の事実をうまく受け入れられなくて、じっと時が過ぎれば何か起きると待ち続けてしまいます。

今は永遠に待っていてもこないのです。今はもう目の前にあるのですから。