誰しもが思っている「自由になりたい!」。でも自由ってなんですか?
物理的自由、精神的自由

自由にもいろいろあります。
例えば、時間を自由に使えたり、お金を自由に使えたり。これは物理的な自由。
そして、誰にも有無を言わせない自分でいるとか、誰に何を言われようと自分は自分と感じる自由。これは精神的な自由。
あなたはどの自由を手に入れたいと思っていますか?
意外に自由の定義づけをせずに「自由が欲しい〜!」とぼんやり考えていませんか?
自由を定義することで見えてくる現実

おそらく、多くの人は、自由になりたいけどなれるはずないよね、と絵空事で考えているから思考を止めてしまうのだと思います。私ももれなくそちら側の人間です。
でも、確実に自由を手に入れている人は、自分で獲得する自由を決めていると思います。
例えば、「お金持ちになって経済的な自由を手に入れる!」とか「親から自立して、場所的な自由と精神的な自由を手に入れる!」など。
本当は手に入れられるはずの自由に、ぼんやりとしたモヤをかけてしまっているのは、間違いなく自分、なのかもしれません。
得たいものを明言し続けていれば、そういうものに目が行くし、そういう場所に自分が動いていくはずですから。
とはいえ、人間は飽きる

そして、一番厄介なのは、定義づけた自由を手に入れる手前で人間は飽きてしまうことです。手に入ってしまう前や手に入ってしまった時、なんともいえない燃え尽き感や欠乏感を感じてしまうことがあるのです。
それは逆にいうと、常に成長欲があることの証明であり、ある意味健全ではあります。とはいえ、側から見ている人からすると、もったいない行為に思えたり、優柔不断に見えてしまいがちかもしれません。
どちらにせよ、自由を志すも自由を獲得するも、本当に自分次第なのです。その行為時代を楽しみんでみる自分を作り出せることが、一番良いのかなと思います。言葉やいっときのふわっとした流れに飲み込まれず、俯瞰した自分で状況を楽しめるようになれるといいですね。