こころ

「普通」に囚われすぎない人生を生きよう

コロナでもこんなに当たり前がひっくり返っている現状。普通って一体なんだったんでしょうか。

戦後の普通

私たちが生まれて意識が芽生えた頃の、「普通」の姿はどんなものだったでしょうか。家族は男女が結婚し、子供を2〜3人産み、男性は働き女性は家事をする。家を所有し、老後はゆっくり年金で過ごす。そういう考えを踏襲するように、教育され、社会ができていました。

途中から少しずつ、女性も働き、経済的理由から子供を作らない家族も増え、科学が進歩して子供ができない人は不妊治療、老後は年金がもらえないかもしれないので老人でも働き続けるようになってきています。

そしてそこへコロナが来て、会社で働くことが当たり前ではなくなり、個人事業や副業などの働き方が多様化し、経済への歪みを調整するために助成金が出るというような社会になってきています。

普通とは誰かが作ってきた道

考えてみれば、「普通」とは誰かが最初に作ってきた道がメインストリームになったということです。YouTubeもメインストリームになるまで時間がかかりました。

例えばLGBTも実は昔から概念としてはあるけれど、公になって社会的な権利を獲得するのに時間がかかっているものです。

だから「普通」になるには、違和感や別の道を訴えない限り・自分自身で認めて作っていかない限りはいつでも排除されやすいものになりやすいものです。

「普通」が揺らぐ時代にどう生きるか

コロナを皮切りに、普通が揺らいでいる時代。あなたにとっての普通と私にとっての普通は変わってくるはずです。

そんな時、自分の普通を相手に押し付けないように、違いを理解し、和を作れる関係性を地道に作っていきたいです。

社会のインフラや経済は整っているようで、実際に生きている人間の生き方は、正規ルートのようなものがなく日々揺らいでいます。こんな時代でどう生きようか。

違いを理解しあって、自他ともに支えられるようになりたい。私はそう思います。