こころ

程度が過ぎると、満ち足りない

何でも、中庸というものが大事な気がしています。

程度を超えてしまった後の虚無感

皆さんは、限度を知らずに何かをしすぎてしまった経験はありませんか?

私の場合は、買い物依存症一歩手前の購入、度重なる借金の荷重債務、仕事のしすぎ、などなど、依存症の一歩手前まで行ったことがあります。

自由に買い物ができなかった過去から、お買い物をしてもしても足りなくて、次々と使わないものを買ってしまい続けることや、占いを何度も何度もしすぎてお金がなくなってしまったり。そういう依存に似た現象を何度か経験してきました。

度重なる失敗の後に反省し、自分を是正したおかげか、最近では本当にましになりましたが、今でも時たまそういう現象が起きそうになる時はあります。

これらの行為には共通点があって、依存傾向になっている真っ只中では「えーい!いいや!」とかなり大雑把で大胆な性格になっているのに、入りきらなくなった洋服ダンスやカードの請求が届いた時、本当に絶望に打ちひしがれる。そう、いつも後になって虚無感がやってくることです。

先に気づくことができないのは何故か

何度か経験しているのに、なぜいつも先に気づくことができないのか。

よく振り返ってみると、自分の持てるものの領域を把握できていないことに問題があるかと思います。例えば、クローゼットがパンパンなのに服を買ってしまったり、お金がないのにまたものを買ってしまったり、体が疲れているのに仕事を詰め込んでしまったり。

どの行為も、自分のキャパシティが把握できていないから詰め込んでしまうのです。もしくは、把握はできているけど、もっと入る!と自分を無理させることに慣れているからかもしれません。

これらのことは、頭では理解しているつもりでも、行動としてはなかなか変えられないものです。

では、どうすればいいのか。

最低限を目指す

人間は何かを獲得すると、さらに獲得したくなる。それが生まれ持っているさがなのです。

だからこそ、目指すべき終着点の転換をするのが良いと思います。

ものを持って死ぬことはできないのだから、ものを持っていても仕方がないんです。だからこそ、いつでも身軽に移動できるよう、最低限のものを持って、それらのものを自分の好みに変えていくことができればそれでいい。

最低限の暮らしを小さく、豊かにする。そういう気持ちでものと向き合えば、本当に大事なものしかいらないし、そういうものに囲まれたら、モノの量は必要ないかもしれません。

自分の限度を定めるのなら、最大限ではなく最低限を目指していく。それが私に合った考え方かもしれません。