こころ

仕事は遊びの一種である

仕事に夢中になるか、ならないか。それの違いってなんだろうと思います。

そもそも仕事って何?

私の小さな頃の刷り込みは「仕事はお金をもらうために、いやでもやらなきゃいけないこと」でした。

なぜなら家族を一人で支えていた父親が、いつも口癖のように「お父さんはすごく大変なんだ。朝早起きして、疲れる仕事をして、みんなを食べさせていかないといけないんだ」と言っていたからです。

仕事って大変なんだ、お父さんなんか疲れているな、大変だな、そんなふうに思って申し訳なく思ったりもしていたと思います。自由に楽しく働くことは、なかなかできないことだと思っていたんです。

それから、将来のために嫌な勉強もしなきゃいけないし、なんとか周りに適合して生きていかないとうまく生きていけない、そんな風に自分を知らない鎖でつないでいたように思えます。

父親が悪いわけじゃない、時代のせいもある。けど、やっぱり自分の思い込みや世界を知らなかったことが、そんな風にがんじがらめにしていたなあと思います。

仕事はしなくても生きていける?

昔、いとこが田舎で畑を持っているから食べるものには苦労しないけれど、仕事は少なくてなかなか収入は安定しないということを言っているのを聞きました。

当時はお金がないといけないと思っていたから、大変だな…と思っていましたが、今世の中を見渡すと、「二拠点生活」や「田舎暮らし」に自ら進んでライフスタイルを変えていく人がたくさんいます。お金を持っていなくても、自活できていればいい。そんなふうに生きていたほうが、変に周りに気を使う必要もなくて、自分の好きなように生きれると。

もちろんお金がないと買えないものや受けれないサービスがあるので、通貨としてのお金は必要だと思います。ですが、何かを多く持ちすぎても、いざこざや苦しみが増えるということにほとほと飽きてしまったという人が急増しているのではないかと思います。

ある程度の仕事は必要だけど、過剰にやる必要はない、そんな風な世の中になっているかもしれません。

仕事をするなら

そう考えると、どんな仕事をするかは本当にその人次第だなと思います。

お金のためにと少額でもいいから短期間で働いたり、もしくはお金にならなくても夢中になれることだからやりたい!といってやり続けること。

お金をもらえなくても時間をたくさんかけられることは、もはや遊びの一種かもしれません。ご飯が食べられて、なんとか生きていければ、あとは遊ぶだけ。そう、私たちは毎日遊んでいたんだな、それを思い込みで自分を縛っていたんだなと思います。

縛られなくても大丈夫です。心配する気持ちを少し緩めて、自分が最低限生きていくための方法がわかったら、あとは思い切り遊ぶだけ。きっとそうです。