こころ

大丈夫、大丈夫。

この世に生まれた意味を知りたいと思ったことはありますか?

ある人の言葉が呪文みたいに

ひょんなことで出会った人のラジオに最近ハマっています。その人が呪文のように「遊ぶために生まれてきた」といったことを言っていて、段々と私の中にも染み込んできていることを感じます。

生きる意味については何度も考えていましたが、私はずっと「生きるのは修行だ」と感じていました。なので、初めてこの人の言葉を聞いた時にはびっくり…というか若干の拒否反応が出てきました。

「そんなにうまくいくわけないじゃん」「うまくいっているからそんな綺麗事が言えるんだ」「そういうことをいって夢を見させて集客しているのかな?」いろんな邪推が頭を巡ります。

ですが、その人の話を聞いていると、綺麗事じゃない本当の心の声だということが徐々に理解できてきました。

私の中に巣喰っていたネガティブ

その人の話をずっと聞いていて思ったのは、結果を出せていない自分はダメだと思っていたことを改めて感じました。

例えばたくさんの資格や勉強をしているけれど、私はその資格や勉強した内容をいかせていなくて、ビジネスとしても成立していないし、誰かに何かをしてあげていることもない。そういう姿を見て揶揄する人がいてもいなくても、なんとなく心の中のもう1人の自分がそんな自分を下に見ていたことに気づきました。

その人は、「自分だって勉強にたくさんのお金を使った。お金が出ていくだけの時もあれば、儲けてリッチな暮らしをすることもした。けれど最後はそういう生活に興味が無くなってきた。そして歳をとれば取るほど、お金とかのことを考えなくなり、学ぶことが楽しくなっている自分に気づいていく。大人にとって学びとは最高の遊びなんです。」と言っていて。

もうその言葉は、私にとってはすごく勇気づけられた言葉だったんです。お金に苦しめられた自分が、自分がまたお金を払って学ぶことはよくない癖だと自分に言い聞かせていたのかもしれません。

お金を払って学んだことが、元をとるようにお金を稼げるようなことじゃなくても、本当は学ぶこと自体が楽しくて自分にとって大切だったし、お金も結局そのものに価値があるのではなくて、どう使うか自体に価値があるのだから。

「遊ぶために生きている」という言葉は、お金や未来の安全を確保しなきゃ見たいなどんどんどんどん自分を縮こめていた自分を、「肩の力を抜いていいよ、もっと楽しんでいいよ」といってくれたような気がしました。

すべては、私次第で。

誰かのせい、何かのせいにしてきた自分を引き離そうと思っていたのに、ここでも自分の心の中で社会通念とか、「これが当たり前」のせいにして、自分の行動範囲や思考を狭めていたんだな〜と思います。

人と話すのは分かり合えるかわからないしまた裏切られるかもしれないから怖いし、つい自分1人でとなりがちだけれど、人生で一度ぐらいはめちゃくちゃいろんな人と話してみても良いかもしれない、とオンラインのコミュニティとの関わり方を今また考え直しています。

他の人は自分の鏡。傷つけられることや裏切られることを恐れるばかりじゃなくて、自分を見つめるためにも色んな人と関わって鏡にしてみる、そんなふうにトライしても良いかな、と思っている今日この頃です。