こころ

その行為に何を学んでいくか

こないだ、先生に言われた言葉。それは私の中に深く刺さりました。

何を学ぶかを自分で設定する

30代を過ぎたあたりから、お茶を習っています。コロナでしばらくお稽古に通うことができなくなってしまい、教室から足が遠のいていました。

そして、新しく通えそうな教室を見つけ、つい最近入門しました。

その際に、先生に言われた言葉が衝撃的でした。

「この教室では、何もこうしなさいとはいいません。今日何を学ぶのかは自分で設定してきてください。」

お茶の世界では、作法や決まり事があり、それを踏襲するのが当たり前でした。日本の教育もそういったものばかりで、小さな頃から、親や先生の目を気にしながら、決まっているものを踏襲することに慣れていました。

それが悪いとは思いませんが、「これが自分の何につながり、何を学べるのか」ということを意識して考える機会はだいぶ減っていたかもしれません。

そんな最中で聞いた言葉に衝撃を受けたのです。

本当に学びたいことは何か

お茶が立てられるような大和撫子でいたい。大人のたしなみを身につけたい。お茶を学ぶ目的は様々です。

ですが、以前から理由もなく指摘されることや、なぜ?と疑問に思うと「それがルールだから」とただ言われていることに違和感も少し感じていました。

体で覚えるということが大事なこともよくわかっています。ですが、少し時代にそぐわないようなこともあるのではないかと思っていたんです。

その形式や形にばかり意識がいって、本当においしいかどうか、楽しめているのか、心が動かされているか、そういうところを置き去りにしていた部分があったのではないかと思います。

すぐに理解できるということが大事なのではなく、理解するというアプローチを得るために、用意された答えを行うのか、自分で問いを設定するかの違いだと思います。

後者の方が断然問いを深める機会が多いのではないかと思うのです。

学びは日常のそこここに

このことは、お茶の教室に限らず、日常生活にも言えることかと思いました。

ただ、なんとなく周りがこうしているから同じように生きるを踏襲するので良いのだろうか。この人生で得たい大事なものは何なのか。それを得るためにすべきことは一体何なのか。

そう言われているようにも聞こえたんです。

小さな頃から、様々な経験を通じて、豊かな感性を育て、その感性にしたがって自分の人生をクリエイトしていくことができたらと思っていました。創ることは自分の一部のようにも思えたんです。それを今度は社会や小さな世界を超えて、できたらいいなと思っています。

方法はまだ決まっていないけれど、お茶の教室で学ぶこともその一部。小さなことから、感性を大切にしていきたいです。