こころ

愛するならば、手放すことだ

恋人でも、親の子供への愛でも、言えること。「愛するならば、手放すことだ」

愛の矛先はどこに向いているのか?

「愛しているからこそ、大事だからこそ、あなたのためを思って…」

そんな言葉の裏側には何が隠されているでしょうか?私にはこんな風に見えます。

「だから私を見て、私を大事にして。私が、私が…」

人を変えることは難しいのに、人を変えて自分のものにしてしまいそうな時、自分への悲哀や執着を垣間見ます。

相手にどう思われていてもいいから、これをしてあげたい。こうしてあげよう。そう思えることこそ、愛情に近しいかもしれません。駆け引きをしたり、代償を求めがちなのが恋愛だとしたら、代償を求めない無性の愛です。

母親の子供の愛情に近しいでしょうか。いつかは巣立っていくし、自分の言う通りなんて全然ならないのに、愛情をかけてしまいたくなるような。

愛情は、自分の中で十分かもしれない

愛情表現を過度にすればする程、相手にも何か求めてしまうことがあります。

「愛している?」「うん、愛しているよ」「本当に?」

そんな感じで。

愛情とは、形にはなかなかしがたいものです。愛を表現しようと思えば思うほど、ハードルが上がり、苦しくなってくるものかもしれません。

頑張って表現しようとするより、日常の中で感じたものを大事にする程度が良いのかもしれませんね。

やっぱり形は重要ではないと思う

社会的には、「恋人」「家族」そういう形にすることが、周りへの表明であり、生きやすくなるものかもしれません。

ですが、本当は愛情には形がありません。感じれる場所で感じれるときに大事にできたらいいのです。

形は大事じゃない。感じれることや大切にできること自体が重要なのだから。