ひたすら続けることができるという人は本当に凄いと思う。
小さな頃の思い込み

小さな頃は、専業主婦であった母のことを心の中で小馬鹿にしていた自分がいた。
毎日ご飯を作って掃除をして、ちょっとの休みにテレビを見て、買い物して、寝て。そんなルーティンだけの毎日がつまらないのではないかと心配になったりして。そうやって生きて死んでいくことに恐怖を覚えていたのだった。
そして、自分は絶対にそうならないなんて思っていた思春期。
でも、考えてみると、私も結果今は毎日ルーティンにまみれている。
朝起きて顔を洗って、仕事をしてご飯を食べて、買い物をしてご飯を食べて、寝る。おんなじことの繰り返しだ。
しかもそれを流されるようにやってしまっている自分だって見つけてしまった。
続けることの意味

料理を淡々と続けることも、日記を毎日書き続ける事も、生半可なことじゃない。
習慣だからと言えばそれまでだけれど、ただひたすらに打ち込んでいくことの強さを、この年になって理解できるようになってきた。
目の前の面倒くささから逃げたいのが人間だし、一回逃げてしまったらなかなか戻ってこれないこともよくあること。
環境がそうさせたとか、それしか道がなかったという話は聞くけれど、それでも続けられたことは本当にすごい。
だけど、続けられている人になぜ続いているのかを聞いてみると意外に意識していないことの方が多くてびっくりする。「いつの間にかそうだったのよ」と。
続けた先に何が見えるのか

ただ機械のように続けていることだとしても、人間なのだから続けていて何も感じないわけがない。きっと何かを感じているはずだ。
むしろ思考はシンプルに、本当に必要なことだけが自分に見えているかもしれない。
私も何かを続けてみたい。他の人にはない、自分だけの大事なシンプルな一本道をこの人生で見つけたと言えるようになりたい。
自分の中で渇望していることはまさしくそれ。続けてみよう、今日から。このブログだって途切れていはいるけれど、続けられているんだ。希望を持って行こう。