求める生き方は辛いと改めて思ったので、自分にむけて書いておきます。
理想とは理解されがたいものである

理想とは理解されがたいものです。なぜなら、他人は自分のことを簡単には理解できないから。簡単に理解できたなら、世の中はこんなに複雑じゃないない。
「私の理想を理解してくれないのはなぜ?」
「どうしてこんなに頑張っているのに伝わらない?」
こういった悩みのほとんどは、相手とのコミュニケーションの受け取り方に問題があるのかもしれません。
どういったところに問題があるか、それは「相手に理解や答えを求める姿勢」にあると思います。
「わかってほしい」「ありのままを受け入れてほしい」そんなことは子供の頃から当たり前に思うことかもしれません。ですがそれも度を過ぎてしまうと、「執着」や「依存」という形で現れてしまいます。
ではどうしたいいのか?
一番良いのは、お互いに話し合えることかもしれません。ですが、話し合いにもトラップがあって、話せば話すほど白黒付けたくなってしまいがちです。どちらが正しいとか正しくないとか、議論というものの難しさがそこにあります。
できるなら求めるより与える側でいよう

一つの解決方法として、「与える側でいよう」という気持ちを持っていることがあるかもしれません。歳を経て思うことは、与えられる側より与える側の方が幸せでいられると思います。
なぜなら、与えられる側は与えてくれるものがいなくなると急に身寄りがなくなり、生きていくことの辛さを感じやすくなってしまいます。
与える側は、どんどん与える対象を広げていけますし、必要ないと思えば与えるのをやめる選択肢があります。
農業でも、真心を込めて肥料を与えて丹念に育てたものが美しく実を結ぶように、与えた側の喜びは手をかければかけるほど大きくなっていくものです。(与えすぎも問題になりますが)
後悔しない人生とは

よく後悔しない人生の文脈で「自己実現」を語られることが多いですが、果たして自分の夢の実現だけを追い求めた結果、本当に幸せになれるかは少し懐疑的でもあります。
例えば、自己実現を追い求めて周りの人の意図を無碍にしたり、孤独になる道ばかりを選んでいたら、もし自分がやりたいことができたとしても結果幸せになりうるかどうか。
幸福を感じるためには「良質な人間関係が重要だ」というハーバードの研究結果があるように、人は孤独こそが耐えがたいものと思います。
孤独が耐え難いからと、相手に求めるのではなく、自分から与える姿勢でいればなお、幸福を得られるのかもしれない。そんなふうに思った今日この頃です。