こころ

何のために生きるかという命題

「人間って何のために生きているんだろう?」そんなことをふと考えてしまう時ってありますよね。皆さんはどう思いますか?

お金で苦労した経験から得たこと

借金をしていた時の毎日って、悩みや欠乏感や後ろめたさみたいなものに包まれていたんですが、不思議と絶望感みたいなものはなかったかもしれません。だからこそ、「生きることは何か」なんて考える時間もなく、むしろ生きていることの実感に満ち溢れていたのかなと思います。

おばあちゃんが戦後間もない時代で苦労した時の話を話すときのように、なぜか熱のこもる話ぶりで話してしまうような自分がいます。

おそらく、必死で生きるということにしがみついていたし、生きている実感がわいていたのもその時期だったからかもしれません。目標が明確だったし、やればやるほど成果は現れるものだったから、余計なことを考えずに済んでいて生きやすかったとも言えます。

その時に得た人生の教訓とは至極明快でした。

「お金があれば幸せというわけではない。けれど、お金がないと生きていくことに困難さを感じやすくなる。お金に振り回されない人生の歩み方さえ理解していれば、お金について苦労する頻度は少なくなるだろう。」

そういったことです。これは今でも私を支えてくれる大事な教訓でもあります。

人間は無い物ねだり。今の悩み

だけれど、今の悩みというのは別物になってきています。

おそらく、お金の悩みはある程度解決してきているし、将来の見通しも出てきているから、後ろめたさや不満も少なくなってきているからでしょう。

「お金のことを抜いたときの自分ってなんだろう?」ということをぼんやり考えるようになったんです。

例えば、大事な人や家族と過ごす時間を大切にすることも良いのですが、自分として「生きる」という動物的な観点を抜いた存在としては、どうやってこの人生を全うすることが充実に繋がるのだろうか、ということを思うようになってきました。

前よりだいぶ高尚な悩みにはなってきているんですが、少したちが悪いです。なぜなら答えと言うものが世間一般的にはないものだから。自分で見つけていくものだからです。

目標や目的のない道を行く

人生の価値観は人それぞれだとは思いますが、よく人生を道に例える人がいます。

それは、人生とは予測不可能で、かつ自分で道を開いていくようなものだからと思います。道とはもともと誰かが作ったものではなく、その場所に足しげく通過したところで出来上がったものが道とされます。

そういう意味では、目的のない毎日に対し、どのような色付けをすれば楽しめるのかということ自分自身で演出していく必要があるものかと思うんです。

なんだか壮大なように思えますが、実際はとても地味なことの連続なんではないでしょうか。例えば今日1日の中で話す人とどのように過ごせたらいいか、自分がどんな時間の使い方をしたら満足できるか、そんなことを考え実行していく1日1日が積み重なって道となり、人生となっていくのだから。そういった中では、こういった「日々や一瞬一瞬を大事に過ごしていく」という観点を忘れないことがことさら重要で、なあなあに過ごす毎日ほど後悔が大きいものはないのだと思います。

まだまだあやふやな私の道は始まったばかり。日々掘り下げていけたらです。