はからずして、またもや人生の節目を迎えた今年の春。落ち込んでばかりいたら健康を損なうので、なんとかして立ち上がっていきたい。そう思い、今後どんな自分でいたいか改めて考えてみます。
こんな自分は嫌だ

まずはなりたい自分の前に、こんな自分は嫌だということを思い描いてみます。
- 心に引きずられて体も不健康
- 過去を悔やみ続けて時間を無駄にしてしまう
- ずっと同じ思いに囚われ、変化できないでいる
- 素晴らしいチャンスを掴めない
- 極端になって、成長というより無理をしている
特に「極端になって、成長というより無理をしている」というのは、過去にそういう自分でいて辛かったことがあったらから書きました。
好きな人を嫌いになろうとしたり、自分を180度くらい違う自分にしようとして無理をしたり。そういうことをしたこともありました。でも、今の私にはそれはもうできません。
自分に嘘をつくことはできないし、今の自分も自分の一部だと理解できたら、これからもっと自分の人生が開いていけそうだと思ったのです。
なりたい自分

では、どんな自分でいたいのか思いを巡らせてみることにします。
- 幸せな時は「幸せ」と感じていられる自分(将来の不安で今の自分を殺さないように)
- 目の前の事実をじっくり受け止めつつ、変化していける自分
- 起きている現象や人を理解できるできる自分
- 無理をしないでいられる自分
- 健康で笑っていられる毎日を作っていける自分
- 「何者か」になるのではなく、「自分」でい続けられる軽やかな存在
私は今すごく「心を開きたい」のだと思いました。自分に対しても、相手や周りに対しても、素直でいて心を開いていたい。そして無理をしない自然な自分でいれるようにしたい。
誰かに制限される必要もないし、自分で制限をかける必要もない。せっかくなら、この人生を思いっきり謳歌してみようじゃないか。
それは、無理やりポジティブになることでもないし、外見を変えて変わった気になることでもないし、新しい人に出会って過去を忘れようにすることでもない。ただ今を眺めては受入れ、自分を返してみるということ。
そういう自分でいたら、悲しみに飲み込まれたり、過去を引きづり続けることもないのではないかと思います。今の「自分」を受け入れ、軽やかにいよう。
自分になるのではなく、自分でいる

書いてみて思ったことは、「自分になる」ことより「自分でいる」ことが大切だと思いました。
すぐに変わるなんて私にはできない。それでも、毎日自分で居続けることができたなら、少しずつ何か角が取れたり、発見したりして変わっていくと思います。川の中の石が流れに身を任せて、いつの間にか角を丸くなっていくように。
周りの人が「これをすべきだ」「チャレンジすべきだ」「新しく始めるべきだ」「出会うべきだ」と言っても、自分にその気がないのなら致し方のないことです。
すべて、出会うべきして出会って、あるべきことがあって、だから始めたりするものだと思います。今は自分というものを見つめて、精一杯自分であり続けようと思います。