こころ

気持ちを開く練習

自分の昔からできないこと。それは「人に心を開くこと」です。信じたいのに信じられない、そんな気持ちでずっと過ごしてきました。

いつか離れてしまうのが怖くて

小さな頃からのトラウマ。友達と仲良くしたいのになれないまま離れてしまったり、引っ越して別れてしまったり。好きな人に好きが伝えられずに終わってしまったり、恋人と付き合ってみたものの本当の心を打ち明けられない。家族でさえ、気をつかってしまってわがままと言ったり大事な思いを伝えられない。

そんな思いがギュッと詰まった経験の、一番最たるものは、以前結婚していた時でした。相手との思いがなぜか噛み合わず、でも結婚したんだしと自分を諫めて形に収めようとする日々。相手も見かねて、「なんかおかしい。」と言ってきます。でも私はなんとか形を維持したくて、見てみぬふりをしたんです。

ほころびの糸がどんどん積み重なって、目の前が見えなくなって、自分の気持ちが分からなくなった時、夫の私に対する非難の言葉に打ちひしがれて、家を出ることを決めました。

家をでたらなんとか私を引き留めようとする夫。今までそんなことは一度もなかったのに、泣きながら「ごめん」と言われたんです。でもその時直感的に「ここで許したらまた同じことを繰り返される」と思いました。事実、夫はかなりの気分屋で日によってコロコロと態度が変化する人でした。

最後の最後でやっと自分の違和感を態度で示して締め括ったのが離婚でした。離婚はしたくなかったのに、別れは辛いはずなのに、涙は別の意味を含んでいました。

最後まで自分に嘘をついていた悔しさです。

独りよがりなのかもしれない

「心を開けない」「思っていることが言えない」というのは一見可哀想なことのように思いますが、裏を返せば「独りよがり」だとも言えます。

自分さえ黙っていればなんとかなると思っていた慢心や、私だから支えられるというどこか虚栄心を満たすような自己犠牲。そんな無理を相手だって理解していたはず。

なぜ「心が開けない」「思っていることが言えない」のかを紐解いてみると、幼少期の思い出が蘇ります。年子で亡くなった姉の代わりに自分が生まれてきたという母親からの何気ない一言がトラウマです。大した意味はないのに、「求められてなかった」「代わりに生まれてきた」そんな気持ちが罪悪感のように自分にのしかかりました。

迷惑をかけない存在になろう、自分は誰かに求められたらその人を大事にしなきゃいけない、そんな気持ちが前に出るようになりました。

特に結婚については、こんな自分を結婚してくれるなんてありがたいことなんだからと思っていたかもしれません。

そんな思いはいつの間にか自分の中だけにしまわれ、独りよがりな気持ちを増幅させていくのでした。誰からも求められていない、自分から求めたらきっと離れていくだろう。そんなふうに思いました。

だから仕事も恋愛も、相手の顔を伺って、試してみては「あ、やっぱり私が欲張ったらダメなんだ」と自分を納得させる、そんな風になってしまっていたんだと思います。

心を開く時は今かもしれない

先日、気になる人に言われた一言がグッと自分の胸の中に響いていました。「人って何かを手に入れようとしても、いつかは手放してしまうものですよ」という一言。

私はずっと、自分のことを求めてくれる人を探し続けてはダメだったと確認するばかりで、自分の気持ちをちゃんと伝える努力をしていただろうか、そう思いました。

自分に素直になる、そしてそれを伝えて、傷つくことを恐れない。今こそ、そのタイミングが来ているのかもしれません。怖がらずに、確証を求めずに、自分の思いを伝える。相手を信じてみる。すぐにできなくても、少しずつやっていってみようと思います。