こころ

自由になることを恐れている自分を見つけたら。

自由が欲しかったのに、いざ目の前に自由が見え始めた時に怖気づくことってありませんか?

自由が欲しい!の真意は?

例えば、「明日から仕事をせずともお金は入ってくるので、もう何もしなくていいよ」と言われたら戸惑ったり、仕事が忙しいのが嫌だったのに暇になると所在ない気持ちになったり。そんなことありませんか?

私はもちろんあります。特に仕事に関しては、お金はもちろん大事だけど、自分の存在意義や誰かに必要とされているという感覚とセットだからそうなると思うのです。

社会から完全に突き放されて、何もしなくていいということは私にとっては「自由」とは違うのかもしれません。

だからこそ、何もしなくていい状態になったり、やることがなくなってしまったり、必要とされなくなってしまうとわかった時、一見それは自由のように見えて、そうではないと自分でわかっているから、どことなく寂しく思うのだと思います。

自由が欲しいのではなく、自分らしくいたい

「自由=誰にも干渉されず、好きなことだけする」というのはちょっと自分には当てはまらないのかもしれません。

私にとって自由とは、自分の生きやすい環境で生きる、さらに自分の自己実現ができていることに近い感覚に思います。だからこそ、自分の生きやすい環境とは何か、自分が実現したい未来は何かということを具体的に想像することが必要にも思います。

こういうことの難しい点は、正解がないことと、月日を得て、理想が変わっていくことです。常にアップデートしなければ、どこか違う思いが出てくる可能性もある。なので、常に自分と向き合う時間がいることかもしれません。

毎日の生活を愛おしめるように

私の場合、自分の気持ちに確証が持てなかったり、軸がぶれやすいということがあります。それが良い悪いではなく、そういう人間のタイプなので仕方がないと思っているんですが…(笑)

こういう自分と付き合っていくときって、客観的に自分を見つめる自分を作っておかないと、自分の中でゲシュタルト崩壊するんですよね。

感覚的に「これだ!」を押し進めることもできないし、かといって他人に振り回され続けるのも嫌だという、面倒くさい自分。でもうまく付き合って行けたら、そんな自分もかわいいと思えるのかもしれません。

毎日の生活が愛おしいと思えるように、常に客観的な自分とコアにいる赤ちゃんみたいな自分、2人を見守りつつバランスを保って生きていきたいです。自由を得るために、自分をかわいがっていこう(笑)