人間って生まれて死ぬまでひとり。でもひとりだからこそ、ひとりじゃない存在のありがたみがわかるのかな、なんて。
もし自分が天涯孤独だったら

昔、ヒプノセラピーという睡眠療法を興味本位で受けたことがありました。いわく、前世が見えるということで、面白半分で行ってみたんです。
行く前までは「まさか前世が見えるなど…」と思っていたんですが、バッチリ見えました。ガイドさんの声で記憶を辿ると映像が見えてくるんです。
記憶はこんな感じでした。
フランスのようなヨーロッパの石畳の街。産業革命の時代あたりだと思います。
私は、10歳くらいの男の子で孤児です。石畳の路地裏で、拾ったパンをかじっています。
毎日、蒸気機関?のような機械を取り扱うおじいさんの元へ働きに行っていました。親がいない分、おじいさんにいろいろ教わっていたのでしょう。
信頼するおじいさんが大好きだったようで、おじいさんがある日突然亡くなったときの悲しみはとても大きかったようです。
大人になり、一人で湖のそばに住み、飛行機を作る仕事をしています。ある日、湖のほとりで美しい女性に出会い結婚します。子どもにも恵まれますが、ある時生活のために出稼ぎに出なければならなくなります。その出稼ぎの間に、妻には愛人ができていました。
愛人の存在に気づいていても、妻を失うのが怖くて手放せない自分。そして妻は神経が衰弱し、寝込みがちになり死を意識するように。そして妻が死ぬ間際、ひとりという存在が悲しすぎて、一緒に薬を飲んで死にました。
この記憶(?)が本当なのか、私の妄想なのかはわかりません。
でも始終感じたのは「生きる中での孤独」でした。
臆病な愛のカタチ

前世があるかどうかは置いておいて、その人生を見て思ったこと。
愛することに臆病だったのだな、と。頼ったり頼られたりすることにすごく不器用だったと思います。それは今の自分にも感じること。
素直な自分の気持ちを表現したりできなかったり、誰かを頼ることに怖さがあったり。なのに本当に頼りきったときにはいなくなってしまったり、裏切られてしまう悲しさがひしひしと感じられました。
愛を感じる瞬間ってとても一瞬のことに思えます。辛いことはとても長く感じるのに不思議ですね。
頼りになると感じられたその時があるなら、その瞬間を大切にできる自分でありたい。ひとりは孤独だけど、だからこそ分かり合える楽しさや嬉しさががある。
そんな素直な自分に脱皮できる2021年になるといいな。