こころ

幸せは心からやってくる

最近よく思います。「心が幸せ金持ちな人は意地悪をしない」ということ。

幸せ=金持ちではない

「幸せな家庭」という言葉を聞いて、思い浮かべるのはどんな風景ですか?

大きな家と庭に、犬と子供が遊びまわっていて、有名な外車が一台…そんなイメージですか?私もそう思っていたんです。でもこれが仮面家族であることもあり得ます。

家と車の借金が山積み。働いても働いてもまだ減らない借金に頭を抱え、夫婦喧嘩も増えてきた…。実情はそうかもしれません。

大企業で勤めていた時は、そういう人が周りに何人かいました。少し都心からずれた23区内のマンションと外車所持、綺麗な奥さんに、ヨークシャテリアを飼って、週末はキャンプかお洒落なレストランで食事…。そういう絵に描いたような生活をしている人が部長クラスの人に多かったです。

そういった価値観を持っていることを否定したいわけではなく、問題はその人たちの今の行く末なのです。ローンも抱えて離婚して、孤独…。という風になっていった人が結構います。

問題は何だったのか、個々人によって違うとは思うのですが、私が思うのは「心の幸せが貧乏だった」のではないかということです。

「幸せ=地位が高い、物をたくさん持っている、贅沢ができる」と思っているうちに、手元の幸せを犠牲にしたり見失ったのだと思います。

思いやるのは誰のため?

いまだに仕事をしていても、たまにそういう人をみて思います。

「この人自分のことばっかり考えているな〜」とか、「うまく立ち回っているようで何か失っていそうだな〜。反面教師だ…。」と。

幸せって何でしょうか。

私の幸せは、「何か自分がしたことが相手の役に立って喜んでくれたらいいな」とか「楽しいことでみんなが笑ってくれていたらいいな」そんな程度なのです。

そこにいつの間にか自分にも何かが返ってくることを期待してしまうのは人間の性ですが、それでも思いやらないより理解しようとする姿の方がお互い嬉しい気がします。

だからと言って、相手の負荷を全部背負った方がいいとかそういう飛躍した事は思わないですが、「わからない他人同士だからこそ、理解し相手に何か与えられたら」と思うのです。

そこに理性が加わって、解決法がシンプルでわかりやすく効率的なら尚の事お互いの負担が減っていいですよね。

心の幸せが不足していると、つい自分ばかり見えてしまいますが、何かにつけて心の幸せが現実の幸せの充足感をもたらしてくれると信じています。

心が幸せな人は意地悪しないし、その人に対しても誰も意地悪はしないと思うのです。