こころ

あの頃も、私は「しあわせ」だったんだ。

夕方、きれいに染まった夕焼けを見ながらふと思いました。

「こんなささやかな幸せが私にも今やっと訪れたんだな…」と。

そして同時に、自分のブログを見ながら過去のことを思い返しました。

私のブログには「離婚」「借金」「ブラック企業」などの世間一般じゃ悪いイメージの言葉がたくさん並んでいます。

だけど、FacebookやTwitter、Instagramを開いたなら、知人のキラキラしたおめでたいニュースや生活がいっぱい埋まっていて…。

「自分はこれからやっとそっち側に行けるのかな。でもそんな感じはしないな。いつになったらそうなるのかな…。」そんな思いがちらりと頭をよぎります。

果たして、大手を振って世間に自分の生活が豊かだとアピールできることが幸せなのか。

そして、そういったSNSにおめでたいことを書いている裏で、いろんな苦労がきっとあるんだろうな、とも思います。

…まず、そんなふうに思える自分になれたこと、それが自分にとって大切に思えました。

星の王子さまでも、キツネが王子さまにこんなことを言っていました。

とても簡単なことだ。ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない。

 

そして思いました。目に見えないことを想像できるようになったことが、今の私にとっての「しあわせ」。

そして、「離婚」「借金」「ブラック企業」というワードの渦中にいた私にも、「しあわせ」はきっとあったんじゃないかということ。

その場で経験したハードシングスが、私に目に見えないことを想像する力を養ってくれて、感性が豊かになったし、”いちばんたいせつなこと”を自分で気付けるようになっていったんじゃないか。

「そうだ、あの時も、きっと私はしあわせだったよな。」そんなことを思いながらSNSをそっと閉じ、音楽に身をゆだねました。

大丈夫、きっとこれからも年を重ねるごとにしあわせになっていくな、という安心感が溢れた素敵な夕方だった。

生きていることに乾杯。…そして完敗。でもやっぱり乾杯!ですね笑