こころ

本能レベルで「自分の人生を作っていく」という意思を持ちたい

昨日ふと、今までのブログを読み返していました。そしてふと一つの記事が目にとまりました。それは「人生の空白期間」という記事。

気持ちは自分で作る

その記事を書いた時はブログを始めたばかりで、少し気持ちは投げやりでした。目標があっても、すぐに到達できない辛さや自分の孤独感を自分で慰めているようにも思える。

決して悪いことではないけれど、今はその時のマインドと少し違うな、と思うようになりました。それは、なぜか。「自分の気持ちは自分で作れる」と気づいたからです。

当時は「仕方ない」とで自分を可哀想にしていたと思います。でも実は見方を変えたら、「自分を見つめ直す大切で貴重な時間」だったとも捉えられる。どんな風にも気持ちを変えられますよね。

気持ちが作られると、行動できるようになる

私のよくない癖だなと思うことは、「〇〇だから仕方ない」と自分に都合のいい理由をつけて自分を納得させてしまうことです。借金もダイエットもそれでダメになっていった。

だけれど、自分はこうあるべき!なんて高い目標意識なんてハナから持っていない。ましてや、まず自分が見えていなかったと思います。自分が客観視できていないと「自分が何をしたいか」さえ麻痺してわからなくなってきます。

なので最初は自分を客観視する時間が必要だった。その時間が「人生の空白期間」に思えたのかもしれません。

空白期間をもし今卒業しているとしたら、違いは「自分で気持ちを作ろう」と思えるようになったこと。自分が今どんな気持ちか理解でき、明日どんな気持ちで生きていきたいか、考えらるようになったことです。

一見そんな当たり前のことさえ考えられていなかった自分に驚愕ですが、それくらい自分を見失っていたんだと思います。気持ちが自分でセットできると、「じゃあどうしようか」と行動を起こせるようになる。その行動⇆気持ちの振り返りのループが、毎日を作っていくんですね。

楽する人生は、実は楽しくないかもしれない

同じように、人生の空白期間中ずっと「もっと楽して生きたい」とも思っていました。なんでこんなに「働かなきゃいけないんだ」とか、「なんで私だけこんな嫌な思いしなきゃいけないんだ」という気持ちの反動で「もっと楽して生きていきたい」とずっと思っていました。

でも今は少し違っています。同じ「楽して生きていきたい」でも意味が違います。前までは「行動をしない」楽な人生を望んでいました。でも今は「気持ちが楽な」人生を望んでいます。

というのも、「行動をしない」って一見楽で良さそうに思えますが、実は楽しくないのではないかと気づいてしまったんです。

ダイエットも最初は嫌だけど、だんだん体が変化していくのが楽しめるようになる。副業も最初は嫌だけど、やっていくうちに知識が増えてもっと挑戦したくなる。借金は二度としたくないけど、返せば返すほどもっと賢くうまく生きてやろうと思えてくる。

やってみたことすべてが、実は嫌なことから楽しいことに変化する過程を見れたことが貴重でした。そして、「何の感覚も得ずに、向上心もなくただただ生きる人生って楽しいんだろうか」とも思うように。

頑張って自分が変わるって、「生きている実感」がたくさん詰まった貴重な時間だと思います。気持ちを楽に、でもやりたいことをやれるように。今はそうなりたいです。

「人生=自分」というものを作り上げていく

私はもともと自己認識が薄く、自己実現欲求も少ないタイプだと思います。うまく適応できるように一生懸命になってたら、いつの間にか自分を見失って、自分の持ち物もゼロになっていた。でもそれは、世の中のせいでも周りのせいでもないんです。すべて自分の招いたことだと思います。

だからこそこれからは、「生きる」という本能レベルで「自分の人生は自分で作っていく」という意識をしていきたいです。そうしないとまた目標を見失い、流され潰されてしまうから。「生き抜く」ということを志に自分を磨き、「生きてよかった」と思いながら死ねるよう、自分の美学で生き抜いていこう。