のほほん

コロナ以降、○○すべきのパターンは細分化→淘汰されて勝ち負けなくなるのでは

コロナが起きてから、学校・医療・働き方、様々なことが変化してきています。変化が余儀なくされる今、未来どうなるか議論がよくされていますが、私はこんな風に自分のマインドが変わっていくのではないか、と思ったことをまとめます。

(※根拠もなく大した内容ではありませんが、未来の自分への記録として書きます。)

働き方:働く環境と共にマインドが変わる

 

緊急事態宣言解除を受け、自宅勤務から会社勤務に戻った方もいらっしゃるのではないでしょうか。自宅勤務のままの方も、会社勤務の方もみな「自分にとってどういった環境が働きやすいのか?」考える機会が増えると思います。

私はもともと内勤系の職業かつ独身のため、自宅勤務で困ることはほとんどありませんでした。MTGはビデオチャットですれば良いし、作業は黙々と自分のペースで行えて、ある意味最高な期間でした。

そして、ふと「会社に拘束される時間がもったいない」とも思うようになりました。会社の仕事が早く終わったなら、自分のサイドビジネスなどに集中できたら良いのに…という発想に至ります。

それを実現するには、現状ではフリーランスに転向するか会社を起こすしか方法がないという現実を突きつけられ、不安とともにそろそろやらねば…という気持ちになりました。

○○すべき→○○したほうがいいらしい→△△においては○○したほうがよさそう

思えば、フツーのサラリーマンとして働いてきた今まで、頭の中は思考停止状態でした。

私ももれなく「会社に入って、成果出して、昇給してお金もらって、豊かな老後→人生FINISH」というステレオタイプに乗っかった一人です。このコロナ騒動は、○○すべきという人生のロードマップに疑いをかけるきっかけになった気がします。

そしてSNS上でもこれからの生き方のヒントを得る機会が多くなりました。様々な情報に触れるにつれ、徐々に「世間一般では○○すべし」という考え方から、「なんとなく○○したほういいらしい」という曖昧な認識に考え方をシフトさせるようになりました。サンプル数が分散しているので、考え方を一つにまとめ切れないのです。

そのうち情報をジャンル分けするようになり、認識は「特定の関心ごとのジャンルにおいては○○した方が良さそう」という類推が働くようになります。

テレビの普及率も下がって、インターネットを老若男女誰しもが使いこなす今、より一層、共通認識というより特定の分野における知識の最適化と人の集まりが増えるように感じます。

いわば、総オタク時代といえるでしょうか。自分の興味関心ごとのコミュニティにおいて、情報収集とコミュニケーションを繰り返し、それぞれが自分のドメインを持つ時代です。

物質主義から情報主義へ

ある特定のジャンルでの最適解を個人で運用する生き方になった場合、大事な資産は物質より情報になりえます。高価値の物質(建物・車など)を持っている人が力を持っているという価値観より、それぞれのジャンルの専門性を持っていたり、そこで突出している人が発信する情報や未来像に価値がある、という世界観が生まれてくると思います。

実際に今のTwitterもそれに近い場所になってきているのではないでしょうか。その人が何を持っているかより、何を考え実行しているか。そこに賛同した結果が♡の数の多さになり、発言権がまし期待値が上がる。その人がどんな車に乗っていようが、どんな家に住んでいようがあまり関係ありません。

しかし情報もこれだけ世に溢れていると優劣もつけがたく、いずれ淘汰され「ああこの人はそういうカルチャーの人なんだ」というone of them扱いになっていくのではないでしょうか。「個人の独立と自由が尊重される時代」そんな風にシフトしていく気がします。

一方で、個人が目指す生活スタイルや信条などが生きる上で大事な資産になり得ます。それはつまり、お金があってもなくても生きる目的を見出せないと、辛くなる時代です。ともすると、世間一般の共通人生ゴールが描かれていた時代とは異なり、お手本がなく自分ベースで生きていかないといけないのが辛い、という考え方も出てきそうです。

今のうちに、どんな風になりたいか、自分とゆっくり対話を続けて日々思考を磨いていきたいです。