こころ

白黒つけないグレーな生き方。でもいいじゃないか。

今日はいつもと違って、ポエムっぽい記事になりそうです。苦手な方はスルーOKです。

思えば、白黒つけたがっていた自分

最近、過去のことをよく思い返します。コロナで家に一人でいることが多いからですかね。

思えば、30代を迎えるまでの私って、人に抱かれる印象と本来の自分に大きくギャップを感じていて、その差を一生懸命埋めようとしていたと思います。

一見大人しくておっとりしてそうに見られる反面、心の中の自分は何かで一番にならなきゃと思っていたし、もっと強くなりたいとずっと思っていました。だから男性が多い職場でなめられたくなくて、強い言葉を言ったり、主張したりしていました。恋人や元旦那にも、理詰めで話したり…。

なんでそんなことをしていたかというと、自分で自分の強さや存在感を肯定できなかったから、目の前の現実で形にして認めてもらいたかったからだと思います。

心の声に気づけない時、人は沈黙してしまう

目の前の人とは言い争いばかり。見た目の雰囲気に反して生意気なことを言ってくるし、突っかかってくるんだから当たり前ですよね(笑)

言い争うことに疲れた後、私は言葉を発しなくなりました。いろんな人の意見を「そうだね、そうだね」と受け流し、業務連絡みたいな会話しかしない。思ったことをそのまま伝えると、悪いことが起きるんだと思い込んでいました。

そして、心が疲れ、体もだるく、なのに何も言わない返事のいい人になってしまったので、色んな人から無意識に面倒なことなどをお願いされるようになりました。

その時はただ「あと、どれくらいこれに耐えたら、私は自由になれるんだろう」と思っていました。その時は自分の中で、「面倒見のいい人でいれば、面倒なことに巻き込まれないし、それで自分も肯定される」と思い込んでいたんだと思います。

霞んだり、くっきりした輪郭を表したり、そんな人生でいいよ

ブラック企業をやめ、旦那と離婚し、そのあと生活を変えざるを得なくなった時、初めて自分というものを見つめ直す時間が大量にできました。

そして、自分という指針を見失っていたこと、すべて物事をはっきりしないとうまくいかないと思っていたこと、そう言った思い込みに気づきました。

「私はおっとりしていたい時もある」「バリバリ頑張って、一番になりたい気持ちもある」「放って置かれても一人で自立した人間でいたい」「認められたい気持ちだってある」「でも自由でもいたい」「そんなワガママ言ってていいの?いい大人なのに…」

相反する矛盾に苦しんでいたことにやっと気づけた瞬間でした。「私ってなんてハッキリしない性格なんだ」ってことに苦しんでいたのかと。そんなんじゃ社会でうまく適用できないとか思っていたんですかね。

今言えることは、どんな自分も自分なのだということ。ハッキリさせる必要なんてない。色んなことが変わっていくのが常な世の中なんだから、自分だって変わっていくんだ。それを受け入れられないことが辛かったよね、と。

時にぼんやり、時にキッパリ、そんなグレーな人生もいいと思うんです。私は私のこと、認めているよ、と今日は記しておこう。いつか見返してね、未来の自分よ。